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Granada
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Granada, Nicaragua
ピラミッド型の奇妙な宿を出て、「ニカラグアの京都」ことグラナダへ向かう。
グラナダはマナグアの南、ニカラグア湖に面した古都で、長くレオンとグラナダはニカラグアの二大都市として勢力を競ってきた。その結果、中間地点に現在の首都、マナグアが建設されたという経緯である。

ニカラグアの歴史はなかなか複雑だ。
簡単に言うと、スペイン植民地時代の後、19世紀初頭にメキシコ帝国の一部として独立(1821年)、その後中央アメリカ連邦として独立し(1823年)、更にニカラグアとして再独立(1838年)、中央アメリカ大共和国時代(1896~98年)、アメリカによる占領(1927~33年)、ソモサ王朝(1936~1979年)、サンディニスタ革命(1979年)、コントラ戦争(~1987年)を経て現在に至る。
西南戦争(1877年)以来内戦を経験していない日本から見ると、実に慌ただしい限りである。


宿は、Hotel La Boconaというコロニアルホテルにした。
外から見ると平凡な町屋も、中に足を踏み入れると、中庭を中心に豊饒な空間が広がっていることに驚かされる。

部屋は広くて体育館のように天井が異常に高く、床にはカラフルなタイルが敷き詰められ、ベッドは天蓋付だ。
エアコンがないので、天井の扇風機が熱せられた空気を掻き混ぜている。専用のバス・トイレが離れた所にあるのがやや難点だが、これもある意味昔風で悪くない。






建物の中は広く、これが個人宅だったのであれば、往時は相当豊かな生活だったのだろう。
綺麗な中庭やプール、ダイニングルームがあり、とても美しいホテルだった。

◆◆◆

グラナダの街は、やはりとてもコロニアル調だ。
極めて予定調和的だが、グアテマラのアンティグア等に比べると現役の街っぽさがあり、人々の生活が垣間見える。
カラフルな家並みは味があり、魅力的な街だ。



「007」という名の床屋。
ジェームズ・ボンドらしからぬ、中米的なマッチョ志向を感じさせる刈上げが進行中だった。





グラナダ大聖堂は、大聖堂には珍しく黄色とオレンジ、ペパーミント・グリーンというパステルカラーで構成されていて、グラナダの街並みと同様に非常にカラフルだ。しかも最近修繕されたのだろうか、ペンキ塗りたてのように真新しい。
同じ建物がヨーロッパあたりにあったら悪趣味と思われるのかもしれないが、中米という場所に置くと違和感がなく、むしろ風土にとてもマッチしている。




メルセー教会(Iglesia de la Merced)は風雨に晒された外観からは想像できないくらい内部は綺麗に手入れされている。多分外壁はあえて自然のまま残しているのだろう。
大聖堂と同じ、ペパーミントグリーンの壁と床のタイルが美しい。



鐘楼からはグラナダの街が一望できる。
ニカラグア湖を背景にした大聖堂、街の外になだらかに聳えるモンバチョ火山が見える。
ここもアンティグアと同じように、火山の下の街なのだ。



鐘楼から見下ろしていると、教会前の広場を実に色んな人々が行き交う。
日傘をさして遠すぎていく若い女、追いかけっこをする少年たち、死んだように地面にうつ伏せになって動かない女。
何もこんな所で寝ることはないと思うのだが、感覚が違うのだろう。





ニカラグア湖へと続く道は、両側に旅行者向けのレストランやバーが並んで賑やかだ。
湖岸では工事が行われていて、残念ながらビーチを楽しめる雰囲気ではなかった。



夕食の帰り道、大聖堂でミサが行われていた。
信者たちは熱心に司祭の説教に耳を傾けている。
カトリック信者数は今はヨーロッパではなく中南米が圧倒的だが、信心深さもこちらの方が大分上かもしれない。



夜の街とホテルは昼間以上に美しい。
グラナダはよくあるコロニアルな町のひとつではあるが、魅力的な場所だった。

ニカラグア旅行記/グラナダ観光/コロニアルホテル