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騒擾のカイロ
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NYへの帰路、カイロに1泊立ち寄ることにした。久々にピラミッドを見たくなったのだ。

旅の最後ということで、ホテルは若干奮発してケンピンスキーのジュニアスイートに泊まることにした。
Kempinskiはドイツのホテルチェーンで、日本にはないがヨーロッパ、中東、アジア、アフリカでは結構幅広く展開している。概ね4.5~5星(コンラッドとかグランドハイアットくらい)のイメージ。

ちなみに奮発と言ってもそれほど高くない。カイロは元々物価が安い上に、近年の政情不安で観光客の足が遠のいているのでホテル価格は非常にお得だった。


朝7時にホテルに着いたにもかかわらず、追加料金なしでアーリーチェックインさせてもらえた。好印象。
部屋はもちろん広くきれいで、専属のバトラーがつき、しかもジュニアスイートなのにバスルームが2つもある。
以前プラハでケンピンスキーに泊まった時もバスルームが2箇所あったが、ケンピンスキーの方針なのか?


屋上にはプールがあり、ナイル川が一望。
屋外プールなのにちゃんと水は温められていて、真冬にもかかわらず泳いでいる人が結構いる。
この時期のカイロは日中でも20度そこそこで、泳ぐには若干寒いのだが。

◆◆◆

ピラミッドに行くため、ホテルでタクシーを呼んでもらう。
運転手は英語が通じないし、行った先でまたタクシーを捕まえるのもめんどくさいので、ピラミッドとイブン・トゥールーンモスク(Mosque of Ahmad Ibn Ţūlūn)に行くよう予めベルボーイに伝えてもらった。

車窓を流れていくカイロの景色は相変わらず埃っぽくボロい。
この日エジプトは2011年の革命の開始からちょうど2年で、モルシ大統領への不満の蓄積もあって一触即発の不穏な政情らしい。暴徒がいる可能性あるので車の窓を閉めろと運転手が言う。

ギザの周辺まで来ると若者たちが通りに屯していて、タクシーの窓を叩いたり、道行く車に投石したりしている。確かにこれは危ない。政治的な動機ではなく単に騒ぎを起こしたい、不満の捌け口を見つけたいという連中だ。


ピラミッド周辺も、入場口の外で投石があったりしてあまり安全な雰囲気とは言いがたい。
こんな所でタクシーを探したくない(探しても足元見て確実にボラれる)ので、ホテルから手配しておいて正解。運転手を待たせて中へ。

久しぶりのピラミッドはやはり大きく、人工の建築物というより小山のようだ。
周りには五月蝿いラクダ使い達が徘徊していて、しつこく声をかけてきて鬱陶しいことこの上ない。
昔エジプトに来たとき、人のあまりの不愉快さに二度と来ないと心に誓ったことを思い出した。

もちろん人がウザいといっても、それは観光産業に従事する一部の(しかも末端の)人間の話で、当然ながらエジプト人全体を指しているわけではない。但し観光業に従事するエジプト人は強欲で高圧的な人間の割合が特に高い。


政情不安で閑古鳥が鳴いているかと思ったら、意外にも観光客は多く、なかなか商売繁盛しているようだった。

スフィンクスの前で写真を撮っていたら、現地人らしい女の子が写真を撮ってあげると言ってきた。
明らかに小遣い目当てなので、金払わないし必要ないと断ると、お金は要らないという。
ずいぶん強引で断り疲れたので折れると、いわゆる手乗りスフィンクスやスフィンクスの頭を撫でる写真を撮ってくれた。

ありがとうと言って離れようとすると、案の定チップをせびってくる。
写真はまあまあだったので一応小額の小遣いを渡したが、平気で嘘付くあたりはもはや予定調和的ですらある。


離れた所からピラミッド郡の全景を眺めたかったので、馬に乗ってビューポイントまで行くことにした。
一番近いビューポイントまで来たところで、馬屋は当初の約束を違えてここから先に行くには追加料金を払えなどと言い始めた。実に予想を裏切らない。しかもボッタクリ価格である。そのタカり根性はある意味敬服すべきレベルにある。

話が違うと怒ったものの、この手合いは相手にするだけ無駄なので、それならこれから先は歩いていく、一番近い歩ける道まで戻せというと、また遠いだのなんだの文句を言い始める。本当にどうしようもない。

しかもこちらが断るといつまでもグダグダと文句を言い続け、あまりに鬱陶しいので静かにしろというと、なんと向こうがFワードで罵ってきた。さすがにこちらも切れ、そこからは罵詈雑言の応酬。ホント見事にクズばかりである。


遠くのビューポイントまで砂漠の中の道を歩いて行く。黄土色の平原に整然と並ぶ巨大な四角錐は壮観だ。
世界で最も偉大な遺跡と、それに相応しくない品性の現代の人々。エジプトにはムバラクやボッタクリのラクダ使いだけでなくナセルもナギーブ・マフーズもいるのだが、旅行者としての経験に立つとどうしても高評価できないのが残念でならない。

◆◆◆

待たせていたタクシーに乗ってオールドカイロのイブン=トゥールーン・モスクに向かう。
古い町の夕方の殷賑。タハリール広場あたりで起きている騒擾を感じさせない日常の風景だ。


閉館間際のモスクは人が少なく、西日を受けて黄金色に染まっていた。
イブン=トゥールーン・モスクはカイロに現存する最古のモスクで9世紀に建立された。

中庭を背の低い回廊が囲み、北側からは螺旋状のミナレットが見下ろす。
広大な敷地はしんと静まり、外界から町の喧騒がかすかに聞こえてくる。
古い時代の建築なので後のイスラム帝国の大きなモスクのような絢爛さはないが、静謐で魅力的な空間だ。


モスクのすぐ北に隣接する新しい別のモスクがミナレットを開放していたので登ってみた。
柱につかまっていなければ落ちてしまいそうな最上階からはイブン=トゥールーンモスクが一望の下。
東に目を転じれば、夕陽に赤く染まるシタデルやオールドカイロの街並みが広がっている。


タクシーをつかまえてホテルに戻り、屋上のプールで一泳ぎ。
気温は20度以下のはずだが温水なので意外と寒くないし、景色が最高なので気分がいい。
残照の中、徐々に暗くなっていくナイル川とカイロの街並みに一つ二つと灯りが点っていく。


夕食を食べに外出しようと思ったら、表の通りがどうも騒がしい。
ロビーに下りると、なんと暴動が発生しているので外出は控えるべきという。通りを一瞥すると何かを投げたり叫んだりしながら走っている人々の姿が見え、確かにとても出歩ける雰囲気ではない。
しかもホテルは暴徒の侵入を防ぐために巨大な木の板をどこかから運んできて、入口のガラス扉を塞いでいる。どう見ても非常事態だ。


仕方がないのでホテル内のトルコ料理レストランOsmanlyで夕食。
運よくこのレストランはカイロで最も評判がいいトルコ料理店の一つらしく、味もサービスも素晴らしかった。特にシーフードサラダ(というよりレモンとオリーブオイルのドレッシング)は絶品。鶏の腿肉のご飯・ナッツ詰めも美味。さすが中東、このレベルのトルコ料理はNYは勿論、東京でもなかなか食べられない。

明日はいよいよ帰宅。
朝早いのでビールもほどほどにして早めに就寝。