Newer Post Newer Post Older Post Older Post

モザンビークへ
, :

,

モザンビークに移動するために、朝、マプト行のミニバスが出るマンジーニにタクシーで向かう。
ターミナルに着くとマプト行のバンの中には既に先客が数名乗り込んでいた。乗客が集まれば出発する(集まらない限り出発しない)アフリカ方式なので、先客のカナダ人とイタリア人は早朝からもう4時間以上待っているという。

「客が集まるまで何時間でも待たせるなんてマジで馬鹿げている」とカナダ人が言う。全く同感である。
風もなく、照りつける太陽に熱せられたバンの中は耐え難い暑さだ。

スワジランドに限らず、多くのアフリカの国ではミニバンやバスは養鶏場の鶏のように本当にギチギチになるまで客を詰め込み、少しでも空席、もとい空隙がある限り決して出発しない。中東やアフリカの発展途上国ではドバイ経由で輸入されたトヨタの中古バンがよく使われているが、本来の定員の2-3割増しが彼らのスタンダードで、ひどい場合は12人乗りのバンに20人近く詰め込むこともある。当然乗り心地は最悪だ。そこには顧客へのサービスや安全性などという概念は微塵も存在しない。

ちなみにこれらのバンは特に運賃が安いわけではないので、燃料価格が世界共通だとしてもその経済原理がいま一つ解せない。人件費は安いだろうから、考えられる説明としては中古車価格が意外と高いか、経営者が利益重視の業突く張りかのどちらかだろう。

また、乗客が集まるまで出発しないのは、定時性へのニーズが極端に低い社会ならではだろう。いつ発車するか分からないバスに乗る人は先進国にはいない。旅行者である私は暗くなるまでにマプトに着けばいいくらいの気持ちだったが、それでも猛暑の中をあてどなく席が埋まるのを待ち続けるのはフラストレーションが溜まる。地元民もしんどそうにしているが、他に選択肢がないので諦めているようだ。

結局2~3時間ほど待ち、ようやく昼頃に席が埋まってミニバンが出発した。一路Gobaの国境へと向かう。
モザンビークは12年ぶりだ。


Gobaの国境でアライバルビザを取得。
以前は事前取得が必須だったが、今回は問題なく国境で取れた。但し、ビザ代はUS$78と事前取得に比べるとかなり割高。写真はその場で撮影してくれるので持参不要。

モザンビークはアフリカ南部の中では最も立ち遅れていて、ある意味アフリカらしさを残している数少ない国でもある。90年代まで続いた内戦の影響でインフラは未整備で人々の生活水準も低く、しかもなぜかやたらと物価が高い。
南ア・スワジと比べるとやはり街の汚さや貧しさ、混沌が目に付く。


12年ぶりのマプトは劇的に交通量が増え、以前は年代物の車ばかりだったのに今では新車に近い車が大量に走っていた。風雨に晒されて色褪せた共産圏風のビルが立ち並ぶ街並みはあまり変わっていないが、時折中国語が掲げられた建物も目にする。

こんな世界の片隅にも、この10年間の世界の流れは確実に痕跡を残していて、同時に不均衡な経済発展では容易に解決できない問題(生活レベルの向上とか)も浮き彫りにしている。


マプトに着いて何より驚かされたのはインフレと物価の高さだ。
ホテルはロンプラに記載された1~2年前の料金の2倍するは当たり前で、他のアフリカ諸国と比べてもインフレが際立つ。しかもまともな宿は最低100数十ドル以上して、南ア以上の価格設定である。

事前にExpediaやTripadvisorで調べた限りではそれなりにホテルの数はあるようなので、需給バランスのせいというわけでもなさそうだし、GDPの低さからすると一般のモザンビーク人をターゲットにしていないのは明らかなので、金を落とす外国人客が大勢いるのだろう。観光客が大挙して押し寄せるような国ではないので、エネルギーや開発・援助絡みの出張者が結構いるのかもしれない。そういえば商社の友人は出張で結構行くと言っていたような・・・

そんなわけで、今回の旅行の平均宿代(80ドル)程度の宿を見つけるべく街を歩き回り、ようやく見つけたホテルは西日が射すボロボロの狭い部屋でエアコンも故障、Wifiも入らずしかも有料。これでUS$70もするのだから恐れ入る。勿論スタッフのサービスは最低である。
今回ばかりはドミで我慢してバックパッカー宿でもよかったのではないかと若干後悔。
ちなみに昔泊まったFatima's Backpackerがまだ現役で営業していて軽く衝撃を受けた。


日が傾き始めた頃、夕食を食べに街に出てみた。
昔より新しい建物が増えているが、首都の目抜き通りでも物売りや物乞いをそこかしこに見かける風景は未だにすぐれてアフリカ的だ。


ホテルのある7月24日通り(Avenida 24 de Juliho)を抜け、ジュリウス・ニエレレ通り(Avenida Julius Nyerere)まで出ると、外人向けのバーやレストランが軒を連ねている。市内随一の高級ホテルのHotel Avenidaもここにある。

ちなみにマプトには社会主義国家を標榜したモザンビーク人民共和国時代(1975-1990)に名付けられたと思しき、有名な社会主義者の名を冠した通りが多い。ニエレレ(社会主義路線を採ったタンザニアの初代大統領)の他に毛沢東通りやホーチミン通り、レーニン通り、カール・マルクス通り等がある。

7月24日通りは旧宗主国がポルトガルなので多分リスボンの7月24日通り(内戦で君主ミゲルからリスボンを奪還した記念日)から付けられたのだろう。そういえば昔大沢たかおの映画で「7月24日通りのクリスマス」っていうのがあったな・・・観てないけど。
他に9月25日通りや11月10日通りもあるが、由来は不明。


ニエレレ通りにあるロンプラお勧めのポルトガル料理のレストラン、Restaurante Tavernaで夕食。
「腹痛が痛い」並の重複表現な店名はさておき、メニューを見ると、メインは2~30ドル以上してアフリカとは思えない強気の価格・・・・!
しかも韓国の焼肉屋みたいに最初からお通し?が何皿もテーブル上に乗っているのだが、それらがしっかりチャージされる模様。

味はまあまあだったが、結局お通しを断って、プロシュート、エビのグリルとビールだけでお会計はなんとUS$62。
店のレベルを考えるとNYや東京よりも割高で、本場ポルトガルの3倍くらいである。
客層は白人ばかりというわけではなく、特に金持ちにも見えない普通の現地の黒人も多い。
一体ここの物価はどうなっているのだろうか。


気を取り直してタクシーでホテルの近所に戻りカフェでビールを飲みなおす。ついでに食べ足りなかったのでパスタも注文。ここはビールとパスタで20ドルくらいと良心的だが、それでもNYよりは安いものの、日本でこのレベルの店だったら普通の値段だ。

12年前の物価は全く覚えていないが、問題なく貧乏旅行できたし特に印象に残っていないので、おそらく普通の発展途上国の物価だったはず。

現在のモザンビークの外国人向けサービスの価格と一人当たり500ドル台のGDPとの異常な乖離は、極端な階層格差の存在を覗わせる。表面上は近代化と経済発展が順調に進んでいるように見えるが、内実は相当不均衡なのだろう。
途上国の発展はことほどさように難しい。

モザンビーク・スワジランド旅行記:スワジランドからマプトへ