飛行機はケープタウンから2時間弱でブルームフォンテーンに着陸。今日はここには泊まらずにレソトのマセルに向かう。ブルームフォンーテンはマセルに近いことからレソトに陸路で行く際の拠点の町ともなっている。
当初はレンタカーを借りてレソトとスワジランドを回り、スワジで乗り捨てする想定だったのだが、空港のレンタカー屋で確認した所スワジでの乗捨ては結構な追加料金がかかりそうだったのであえなく断念。結局レンタカーは諦めてレソトまでミニバンで行く事にした。
ちなみに南アは三権の最高機関をそれぞれ異なる都市に置いていて、ブルームフォンテーンはそのうち司法府のトップである最高上訴裁判所(Supreme Court of Appeal)の所在地だ。なお、行政はプレトリア、立法はケープタウン、憲法裁判所はヨハネスブルグにあるのだが、ブルームフォンテーンの町自体はこれらの他の都市に比べると大変ショボく、司法府の他の二権に対する立ち位置をよく表しているようで法曹としては若干寂しいものがある。
また、日本のサッカーやラグビーファンの間ではワールドカップの試合地として記憶されているらしく、それぞれ「ブルームフォンテーンの奇跡」、「ブルームフォンテーンの惨劇」などの大袈裟なフレーズで知られている。
空港からミニバンに乗ってレソト行のミニバンのターミナルに向かう。
街に近付くと、周囲の建物を威圧するように聳える発電所の冷却塔が視界に入ってくる。まるで産業革命の頃の公害垂れ流し都市か近未来のディストピアのような光景だが、南アやジンバブエ、ザンビアでは街中に冷却塔があるのは普通のことだ。考えてみれば、宗主国イギリスでも私が住んでいた子供の頃は同型の冷却塔をよく見かけたものだ。
ターミナルに行く前に少し街中を観光したかったがブルームフォンテーンは相当治安が悪いので、ミニバンの運転手にお小遣いをあげて、主要な見所を周ってもらった。
ダウンタウンは人通りが少なくシャッターを閉じた店舗も多くて寂れた様子。ゴミだらけで見事に黒人しか歩いていない。あまり歩きたくない雰囲気だ。中絶、別れた恋人の取り戻し、ペニス増大(黒人が悩むのか。。)のビラが至る所に貼られていてなかなかワイルドである。
特に中絶の看板は驚くほど多い。南ア出身のノーベル賞作家J.M. クッツェーの小説"Youth"では中絶が違法なものとして描かれていたが、現在では無論適法で、南ア全体でも若年層の中絶の多さは問題になっているらしい。
街の一角にある官庁街には、旧オレンジ自由国時代からのものを含む歴史的建造物が並ぶ。
ブルームフォンテーンはボーア人が19世紀に建国した独立国であるオレンジ自由国の首都だったが、第二次ボーア戦争の結果南アに併合された。そのため当時の首都機能を荷った古い建築群が、現在も司法・地方自治のために転用されている。
ブルームフォンテーンで最も有名なランドマークは、しかし、この発電所の冷却塔だろう。街のど真ん中に堂々と鎮座している。
過去にも色々なデザインでラッピングされてたみたいだが、現在のラッピングは南アの政権与党であるANCの歴代議長のポートレートだった。初代のJohn Dube、マンデラ、そして現在のズマ議長まで4人の顔写真と任期が記載されている。
強烈なインパクトだ。
ミニバンのターミナル付近は物騒・不穏な空気が漂う。おそらくそれ程大きな金額を扱わないであろう切符売場も当然のごとく鉄格子だ。
早々にレソトのマセルに向けて出発すると、郊外に広がる貧民街を通りかかった。このすぐ近くには白人たちがプレーするとても美しいゴルフ場がある。
どこに行っても、南アの人種間格差から目を背けることはできない。
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翌日、レソトからブルームフォンテーンに戻り、明け方発のヨハネスブルグ行のバスまで一泊した。
宿泊したUrban Hotelはショッピングモールのすぐ近く&リーズナブル且つ綺麗で、レソトの宿よりよほどコストパフォーマンスがよかった。ショッピングモールは予想どおり白人の世界で、フードコートには回転ズシまであった。
夜中3:00頃に頼んでおいたタクシーでホテルを出て、バスターミナルに向かう。
ヨハネスブルグ行のIntercapeは朝4:00の便が一番安かった。客層は黒人と白人が入り混じっていて、ターミナルで夜明かししている人々も多い。
南アフリカ旅行記:ブルームフォンテーンにて
南アフリカ共和国旅行記:ブルームフォンテーン