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ニューハンプシャーの紅葉
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秋も徐々に深まりつつある頃。
あの有名なニューイングランドの紅葉を見に行きたいと学校でチラっと話したところ、急遽正式な企画になり、最終的に同級生12人でニューハンプシャーに紅葉ツアーに行くことになった。常に1人or2人旅の私にとっては極めて異例の事態である。

そんな次第で、土曜の早朝にJFKからボストンに飛び、そこからレンタカー3台に分乗して一路北に向かった。
目的地は紅葉街道として知られるKancamagus HighwayとWhite Mountains国立公園。
我々の車はひとまず登山鉄道(Cog Railway)に乗ることができるワシントン山の麓を目指すことにした。

ボストンから93号線をひたすら北に車を走らせる。
沿道には何の変哲もないアメリカの片田舎の風景が延々と続く。バーガーキング、マクドナルド、テキサコ。
不意にアラバマやネブラスカやノースダコタあたりの田舎道と入れ替えられても気付かないかもしれない。
極度に標準化され、没個性化された、すぐれてアメリカ的な光景。


コンコードを過ぎたあたりから周囲の風景は森へと変わった。
心なしか木々は既に冬枯れの様相で、常緑樹を除いて葉はすっかり落ち切っている。
ニューハンプシャーは先週末がピークだったという噂は聞いてはいたが、全く紅葉は残っていないのだろうか?
最早我々のテンションも落ち切らないようにするのに必死である。


登山鉄道の駅には最終便ギリギリに到着した。
しかし切符は完売で席は残っていないという。ここまで飛ばしてきたのに実に無念。
最終便は無情にも我々を置いて山頂へと登っていく。

この登山鉄道からはWhite Mountainsの紅葉の山々を眼下に望むことができるという。
ふとワシントン山を見上げると、中腹から上はすっかり雪で覆われている。
きっと頂上は猛烈に寒いながらも絶景なのだろう。また次回があれば乗ることにしよう。


ワシントン山を離れ、カンカマガス・ハイウェイへと向かう。
途中、ブレトン・ウッズ体制で知られるブレトン・ウッズを通過した。赤い屋根のマウント・ワシントンホテルは当時会談の舞台となった場所だ。

日本軍がインパールで飢餓とマラリアに喘ぎ、レイテやサイパンの密林で敗走と玉砕を重ねていた1944年夏、連合国首脳ははこの瀟洒な避暑地で戦後の通貨体制を構想していた。
同時代性という言葉の意味を再考せざるを得ない。


紅葉街道に近づくと、漸くそれらしい風景が広がり始めた。
期待したほど派手な色合いではないが、それなりに美しく色づいた木々が道の両脇に続く。

傾いた太陽から射す弱日は木々の頂きを撫で、緋色や橙色は灰色に霞む山々の稜線へと溶け込んでいく。
晩秋と言っていいほど、濃厚な冬の気配を漂わせた秋の夕方。

そう、午前3時過ぎにNYの自宅を出てからずっと移動してきたのに、もう夕方なのだ。
それなのにアメリカの地図では端っこを少しうろついたに過ぎない。かくも長き空白地帯。


日も暮れ始めた頃、宿をとっているバーモント州のキリントンまで移動。White Mountainsからキリントンまでは100km以上離れているのだが、近くのホテルがどこも一杯だったので仕方がない。ブレアウィッチのような漆黒の林を抜けて道は走り、時折ハロウィーンの飾り付けをした、ニューイングランド風の農家やタウンハウスが車窓を過ぎ去る。

スキーリゾートとして知られるキリントンの、オフシーズンの宿はほぼ我々の独占で、飲みながら卓球やダーツや大貧民をして夜遅くまで過ごした。完全に高校の合宿ノリである。

◆◆◆


翌朝、ボストンまでの帰りにウィニペソーキー湖(Lake Winnipesaukee)に寄った。
生憎の小雨混じりの空だったが、臙脂色を点したような紅葉と、時折現れるニューイングランドの木造の家並みが美しい。絵に描いたような「WASPの心の故郷」的な風景が続くが、意外なことに近年の大統領選ではニューハンプシャー州は民主党の票田になっている。

帰路、レンタカーの返却時間に間に合うよう、93号線を飛ばす。
秋の日は短く、追い立てられるように南に向かっていると、気付いたら周りには再びいつもの高速道路沿いの風景が広がっていた。