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Bucharest
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Palace of the Parliament, Bucharest

バルセロナを離陸したWizz Airという微妙な名前のLCCの飛行機は、3時間後にブカレストに着陸した。
すっかり夜が更けたブカレストの空港はスペインとは打って変わってどこかうらぶれた陰鬱な雰囲気が漂う。
明るい開放的な南欧から暗く閉じた東欧のコアへ。

治安が悪いことで知られるブカレストはタクシー乗場も荒っぽい運転手たちばかりだ。
なかなかボッタクリの言値から値を下げないドライバーと辛抱強く価格交渉をして、タクシーでホテルに向かう。
チャウシェスクを公開処刑したあの革命から20余年、ルーマニアはいまだにEU最貧国の地位に甘んじている。


なお、私がブカレストに着いた10日後に、ブカレスト空港からルーマニア人の男と一緒にタクシーに乗った日本人の女子大生が強姦された上に殺害される事件が発生した。報道によれば被害者の方はインターンとしてルーマニアで日本語を教える予定だったという。卑劣な犯罪の犠牲となった被害者に哀悼の意を表したい。


宿は街の中心部にあるRembradt Hotelに2泊することにした。Tripadvisorで3位だったが、確かに立地がよく、値段も安く、部屋とサービスもなかなかよかった。宿の前のスマルダン通りやセラリ通り界隈はバーやレストランが集まっていて夜遅くまで賑わっていて便利。


翌朝ブカレストの旧市街を歩いた。スペインにも劣らない暑さで日差しも強い。
黒海からそれほど遠いわけではないはずだが、空気や湿度に大陸性気候の気配を感じる。

ホテルの近くのStavropoleos通りには小さいルーマニア正教の教会や、古くからある有名なカフェのCaru cu Bereがあり、そこを抜けた先にはガラスの屋根を持つCEC宮殿や、更に右にVictorirei通りを少し行ったらPssajul Villacrosseのアーケードがある。
このあたりの旧市街の中心はヨーロッパらしい瀟洒な町並が続き、暗くうらぶれたブカレストのイメージとはかけ離れている。


「チャウシェスク宮殿」こと議事堂宮殿(The Palace of Parliament)に向かってドゥンボヴィツァ川方面へと下って行くと、川の周辺から風景がガラリと変わり、共産圏時代の殺風景なコンクリの建物と落書きが急激に増える。
人通りも少なく、まるで見棄てられた都市の様な風情だ。
しかしこちらの方が一般的なブカレストのイメージと合致する気がする(失礼!)


チャウシェスク宮殿前広場に着くと、建物の巨大さにまず圧倒される。
人影の少ないだだっ広い広場の正面には幅270メートル、高さ90メートル近くある宮殿が鎮座する。

革命前は「国民の館」と呼ばれたこの建物は、国民が貧困と飢餓にあえぐ1980年代にチャウシェスクが贅を尽くして建設した。典型的な独裁者の自己顕示欲充足のための建物で、ある意味ここまで趣旨がはっきりしている例も珍しい。
全体主義国家らしく左右対称で正面が奥まっている(その方が権威的・威圧的に見えるため)。


宮殿には3000以上の部屋があるが、公開されているのは一部のみ。内部はツアーでのみ見学可。
行政関連の建造物としてはペンタゴンに次いで2番目の大きさらしい。

天井はやたらと高く、廊下、会議室等どのスペースも巨大だが、家具や調度が疎らで全体に閑散とした印象を受ける。またエアコンがなくて暑く、更に電気代の節約のためか点灯していない照明が多くて薄暗い。いくら豪壮な建物でも広すぎると維持管理が行き届かない好例。

とはいえ、建物の規模・装飾等をみると、とんでもないコストが建設に費やされたことは明白。
80年代に国民が貧困と飢餓苦しむ中で、自らの権威のためだけにこれをやってしまうとは確かに公開銃殺刑も止む無しという気もしてくる。日本にはキチガイの独裁者がいなくて本当によかった。


チャウシェスク宮殿を出て共産党本部へとビクトリエイ通りを歩く。
日曜だからか、人通りが少なくて街は閑散としていて、ほとんど無人の通りもある。
街並みもあまりガラがいい感じではなく、治安的にはやや不安になるエリア。


全体的にブカレストは見所が少なく、街並みは殺風景で治安も悪いので、あまり観光に向いている街ではない。
ルーマニアの魅力は田舎なので、ブカレストにはチャウシェスク宮殿を見るために短期間滞在すれば十分だろう。