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自由の島
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週末、リバティー島へ出掛けた。
中学生の頃初めてニューヨークに来た時に、自由の女神の冠まで登ったり、ヘリで上空を飛んだことがあるが、その後9.11以降は8年間もテロ対策のために展望台が閉鎖されていたらしい。アメリカの象徴のような建造物なので警戒したのだろうが、その過剰な反応も期せずしてアメリカのヒステリックな一端を象徴しているよう思う。

バッテリー・パークからダウンタウンのビル街を見上げながら、フェリーはマンハッタンを離れていく。一緒に行った同級生のうち、インド人のクラスメイトは頭の回転が速くいい奴なのだが、インド人らしくひたすら喋りまくり(よくこれだけ話すことがあるものだと毎度感心する)、段々と話を聞いているのが億劫になってくる。




リバティ島は以前来たときのまま、のどかでピクニック向きの島だった。
ちなみにこれまで自由の女神は直立しているものと思っていたのだが、今回初めて歩行している姿であることに気が付いた。割と常識らしい。




帰路、エリス島の移民博物館に立ち寄る。
かつて入管があり、アメリカへの移民が新天地に足を降ろす前に、まず通過しなければならない関門だった場所だ。

先住民だけが疎らに住む海原のような荒野、そこに浮かぶ島のように植民地が形成され、やがて押し寄せる移民の波が大地を覆い尽くし、この国のかたちが出来上がって行く、その経緯が淡々と展示されている。ジャガイモ飢饉、スウェーデンやドイツからの集団移民、20世紀初頭の日系移民、西アフリカから三角貿易で連れてこられた黒人たち・・・アメリカの歴史は、世界の人口移動の歴史でもある。




そして、そもそもこの国が植民地だったことをつい忘れてしまっていることに気づかされる。植民地としての面影が人々と街並みに色濃く残る中南米とは異なり、アメリカでは国家の成立の歴史はイギリスとの独立戦争に置き換えられ、先住民の迫害は明白な天命による西部開拓というストーリーによって上書きされている。その一方で、「自由の島」にほど近いこの博物館では移民に寛容なアメリカの歴史が誇らしげに語られる。

美しく晴れ渡った空の下、遠くにツインタワーを失ったマンハッタンのスカイラインが見える。
少し涼しくなってきた夕方の風が、暗緑色の水面を波立たせていた。